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札幌高等裁判所 昭和34年(ツ)13号 判決 1960年3月23日

上告人 千葉とし子

被上告人 中村実雄

主文

原判決中被上告人の明渡請求を排斥した部分を除きその余を破棄する。

本件を札幌地方裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人弁護士杉之原舜一の上告理由第三点について。

原判決は、上告人が訴外山崎孝一より昭和二四年に買受けた宅地の範囲は、訴外亡東富太郎が従前山崎孝一より賃借使用していた範囲であつて、その西側境界線が現在ある板塀の位置と合致することを認定し、一方、被上告人が昭和二八年五月山崎孝一より右宅地と一筆をなしその西側に隣接する宅地を賃借し、次いでその賃借した宅地を昭和二九年一一月買受けたものと認定しながら、その後の測量の結果、右二宅地がその一部を重複して二重に被上告人、上告人両名に対し売渡されていることになると認定した後、その重複部分の所有権の対抗力の有無によつて境界線を確定している。

しかし、現実に賃借され、あるいは売渡された宅地の範囲が、その後の測量の結果によつて、当然移動することはないのであるから、その間の経緯について審理判断しなければ、その所有権の存否についても判断できない筋合である。しかるにこの点について何等審理することなく、かつ境界線についてもたやすく前記のような判断を示した原判決は、審理不尽または理由不備の違法があるといわなければならない。

なお、相隣地間の境界確定の訴にあつては、裁判所が真実と認める所に従つて境界線を定めるべきものであり、原告の主張する境界線を正当でないと認めた場合でも、その請求を棄却すべきでなく(大審院民事聯合部判決、大正一二年六月二日言渡、判例集二巻七号三四五頁参照)、また請求の一部棄却を生ずる余地もないのであつて、原判決が請求の一部を棄却したのは違法といわなければならない。

また、境界確定の訴の上訴審では、不服を申立てた者に対して原審よりも不利益に、あるいは上訴の手続をとらなかつた者に対しても原審よりも利益に境界線を定めることも差支えない。これは、この訴がいわゆる双方の訴であることによるのであつて、境界線を定めるに当つては、不服を申立てた者が不服な部分の当否についての上訴審の判断を求めていても、その申立てた部分だけが審判の対象となるのではなく、新たな判断に基いて、争いある境界線の全体にわたつて確定しなければならないのであるから、必然的にこの訴の全部が審判の対象となり、これについて上訴審の判断を求める趣旨と解する外はないからである。

従つて、原判決中、境界確定請求に関する部分は、全部これを破棄すべきものとする。

また、原判決は、前記のように境界線を認定したうえ、上告人がその境界を越えて被上告人所有地の一部を不法に占有しているものと認定して、その部分についての被上告人の明渡請求を認容しているが、境界確定が前示のとおり違法であるから、この点に関する上告人の原判決一部破棄の申立は結局理由あることになる。

従つて、原判決中、被上告人の明渡請求を認容した部分も破棄すべきものとする。

よつて、その他の論旨に対する判断を省略し、民事訴訟法第四〇七条第一項に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐瀬政雄 臼居直道 田中良二)

上告代理人杉之原舜一の上告理由

原判決には民事訴訟法第三九五条第六号にいう理由の不備又は理由にそごがある。

一、原審判決は上告人所有の札幌市北六条西七丁目八番地の十三(以下単に八番地の十三とのみ称す)宅地一一〇坪六合二勺(登記簿上)と被上告人所有の同所有の同所八番地の十五(以下単に八番地の十五とのみ称す)宅地五〇坪(登記簿上)の境界線を具体的に確認するにあたり、上告人所有前記宅地東側上に所有する間口六間の家屋の東北端から東へ〇・五間の地点(原判決別紙図面い点)を基点とし、しかも同基点は登記簿上においても八番地の十三宅地の東北端に合致すると判定し、これを前提としてことを確定している。原判決別紙図面い点が登記簿上八番地の十三宅地の東北端であるとする原判決の根拠は、

(一) 上告人は訴外山崎孝一から同訴外人が訴外亡東富太郎に賃貸していた土地、すなわち原判決別紙図面い点は点ほ点へ点い点を結ぶ範囲の宅地を買受けたのであるが、右宅地は札幌市北六条西七丁目八番地の二(以下単に八番地の二と称す)の土地の一部であつたので、これが分筆並に所有権移転登記手続を受けた。右分筆並に所有権移転登記は訴外山崎孝一が司法書士に依頼して手続をとつたが、その際上告人の買受けた八番地の十三の宅地は、「その北側と東側にある道路に、右の土地が接する地点、すなわち同土地の東北端を基点として南北に七・五間、東西に十四・七間、南側は東西に十四・八間、坪数一一〇坪六合二勺として分筆ならびに所有権移転登記がなされた」。

(二) 被上告人は「昭和三十年八月頃市役所に依頼して測量してもらつたところ、やはり八番地の十三の土地の東北端は前記門柱の位置であることが確認された」。

(三) 上告人が「八番地の十三の土地について所有権移転登記を受ける際基点とした前記地点は同土地東側上に所在する間口六間の家屋の東北端から東〇・五間の位置(前記門柱と同位置)にあることが認められる」

という三点にある。

しかし、

(一) 乙第四号証分筆図からしても推認しうるように、八番地の十三の土地はもと八番地の二と一筆をなしていたのを昭和二十九年七月三日これが分筆の申告をなしたものである。かつ右分筆前の八番地の二の土地はその北側と東側にある札幌市北六条西七丁目八番地の五(以下単に八番地の五とのみ称す)の土地と隣接していた。さらに札幌市北六条西七丁目八番地の十四の土地は昭和二十九年七月十五日前記八番地の五の土地から分筆されたものである。

乙第四号証はその記載からしても明らかなように申告分筆図から転写したものである。いうまでもなく申告分筆図は分筆された土地の範囲を確定するに基本となる図面であり、登記簿上表示されている分筆された地土が具体的にどの範囲であるかは右申告分筆図によつて確定されるのである。したがつて登記簿上の八番地の十三の土地が具体的にいかなる範囲で八番地の二の土地から分筆されたかは、結局申告分筆図である乙第四号証の図面によりこれを確定しなければならない。乙第四号証の申告分筆図によれば八番地の十三の土地が分筆される以前の八番地の二の土地が、その北側と東側にある八番地の五(八番地の十四の土地が分筆される以前のもの以下同じ)の土地に接する地点(以下A点と称す、別紙添附図面参照)を基点とし、右八番地の二と八番地の五の境界線上西に一四・七間南に七・五間の地点をそれぞれもとめ、八番地の十三の土地を八番地の二の土地から分筆し登記されたことが明かである。したがつて登記されておる八番地の十三の土地の東北端すなわちA点が具体的にいかなる地点にあるかは、まず八番地の五と八番地の十三の境界線を乙第四号証である申告分筆図その他連絡図等の公図によつてこれを確定しなければならない。しかるに原判決は上告人の買受けた「八番地の十三の土地は、その北側と東側にある道路に、右の土地が接する地点」を「同土地の東北端の基点(本代理人注、原判決別紙図面い点にあたる。以下単にい点とのみ称す)として」分筆されたと認定している。原判決のいう前記道路とは第一審及原審における検証当時現に道路として使用されている範囲の土地を指称していることは、原判決援用の各証拠並に原判決理由の全趣旨からして明かである。登記簿上八番地の十三の土地の東北端は前記のようにA点であるからして、原判決がい点を基点として八番地の十三の土地が分筆されたと認定するには、まず原判決のいう前記道路が八番地の五の土地に全く合致し、したがつて検証により認められた右道路の具体的な道路線が乙第四号証申告分筆図に表示されておる八番地の十三の土地と八番地の五の土地の境界線に一致しておることを証拠により確定しなければならない。しかるに原判決はこの点を全く看過し何ら審理するところなく、たんにい点を基点として八番地の十三の土地が分筆されたと認定し本件境界を確認しておるのは審理を尽さず、ひいては理由不備のそしりをまぬがれないものといわねばならない。

(二) 原判決は被上告人が昭和三十年八月頃市役所に依頼し測量してもらつたところやはり八番地の十三の土地の東北端は前記門柱の位置、すなわち原判決別紙図面い点であることが確認され、しかも右い点は八番地の十三の土地が分筆される際の基点であることが確認されると断定している。しかし原判決援用の各証拠とくに市役所に測量を依頼したという山崎孝一の各証言によつても、市役所の誰れがどのような基点からどのような根拠たとえばいかなる公図に基きどのような方法で測量し、登記簿上における八番地の十三の土地の東北端の地点を測定したかは全く不明である。原審における上告人の供述によれば、市役所が訴外山崎孝一の証言するように同人等の依頼により測量したという事実さえかなり疑わしいものである。ことに八番地の十三の土地の東側及北側にある道路敷地は公有地ではなく私有地であるから、市役所が私人の依頼によりかような私有地の境界測定にあたるというが如きことは通常ありえないところである。いずれにしても、前記のように誰がどのような基点から何を根拠としていかなる方法で登記簿上の八番地の十三の土地の東北端の位置を測定したか全く不明であるにかかわらず、これ等の点を明かにしないで右測定の結果八番地の十三の土地の東北端はい点なりと漫然断定し本件境界を確認した原判決には審理を尽さずその理由に不備があるといわなければならない。

二、原判決はその主文第二項に於て「控訴人は被控訴人に対し前項の被控訴人所有の宅地の東側(別紙図面ろにほへの各点を結ぶ線内の部分)の地上に所在する板塀、柵、植木等を収去し、右部分を明渡せ」としている。しかし原判決には理由の不備もしくは理由にくいちがいがある。すなわち、

(一) 原判決は右主文において同判決別紙図面ろ、に、ほ、への各点を結ぶ線内の部分の明渡を上告人に命じておる。原判決別紙図面によれば、い点へ点間の距離は一五・〇七間とされており、い点ろ点間の距離は一四・七間とされておるから、へ点ろ点間の距離は結局〇・三七間である。それ故右原判決は上告人が設置した板塀の北端へ点から東へ〇・三七間の土地を明渡せとする趣旨であることが明らかである。しかも上告人が被上告人に対し明渡すべき右へ点ろ点間の距離を〇・三七間なりとする原判決の認定は、第一審及原審における検証の結果(一ないし三回)に基いてなされたことは原判決の理由からして明かである。

しかるに、第一審における検証結果すなわち第一審における検証調書別紙見取図その一によれば、同図面い点と点(上告人設置の板塀北端)間の距離を一五・〇七間と表示しておると同時に、右両点間を四区分しその区間の距離をい点から西ヘそれぞれ〇・五間、六間、三・九六間、四・五一間と表示しておる。この四区分して測量した各距離を合計すれば、前記見取図その一のい点からと点までの距離は一四・九七間となる。右見取図その一のい点及と点は原判決別紙図面のい点、へ点にそれぞれ該当することは両図面を対照することによつて明かである。

さらに原審に於ける昭和三十一年五月十七日の検証結果すなわち同日付証拠調期日調書第四項検証の結果中(二)には、「控訴人主張の基点(援用見取図ろ点)から一四・七間の地点は控訴人所有家屋西側の板塀(と点)より更に〇・二三間(一・四尺)西」の位置であることが明記されている。右援用見取図とは右証拠調期日調書によれば第一審における検証調書別紙見取図その一である。したがつて右援用見取図ろ点と点すなわち板塀の北端との距離は一四・七間から〇・二三間を引いた残り一四・四七間である。しかも同見取図によればい点ろ点の間は〇・五間である。したがつて右証拠調期日調書の記載からすれば、前記援用見取図い点と点間の距離は一四・四七間プラス〇・五間計一四・九七間である。この検証結果からすれば原判決別紙図面い点へ点間の距離は一五・七間ではなく一四・九七間でなければならない。

原判決別紙図面い点へ点間の距離が原判決が表示するように一五・七間でなく一四・九七間であるとすれば、原判決が上告人に明渡を命ずべきへ点ろ点間の距離は結局一四・九七間から一四・七間を引いた〇・二七間でなければならない。したがつてこの場合、原判決のようにその別紙図面い点へ点間を一五・七間とし、へ点ろ点間の距離〇・三七間の明渡を上告人に命ずるとすれば、原判決が確認した本件境界線より東へ〇・一間寄りの範囲で上告人の所有土地を被上告人に明渡すことを命ずることゝなり、原判決がその別紙図面い点より西へ一四・七間の地点を本件境界の一つの基点としたことゝ矛盾する結果となる。したがつて、原判決別紙図面い点へ点間の距離が一五・七間であるか、それとも前記検証の結果の一つである一四・九七間であるかは本件において極めて重要な点である。

原判決がその別紙図面い点へ点間の距離を一五・〇七間であると認定する根拠を第一審及原審における検証結果(一乃至三回)に求めておることは原判決の理由からして明らかである。

原判決がその根拠とした右検証結果には原判決別紙図面い点へ点間の距離を一五・〇七間とする部分もあり、一四・九七間とする部分もあることすでに述べた通りである。しかも両者とも実測の結果に基く距離である。しかるに原判決は右のうち一五・〇七間のみを漫然と採用し、一四・九七間という測定結果を措信しない理由については勿論これを措信しないという趣旨さえ表示してない。本件のような両地点間の距離につき検証結果に矛盾がある場合、その一つを措信し他を措信するにたらないとするにはその措信するに足り又措信するに足らない合理的な理由を示し、ことを判断すべきである。原判決のように相矛盾する内容をもつ検証結果を包括的に事実認定の証拠として採用しながらその相矛盾する検証の結果の一つのみを漫然と採用しことを判断するが如きは、その理由に甚しい不備若しくはくい違があるといわねばならない。

(二) 原判決前判決前記主文第二項はその別紙図面ろにほへの各点を結ぶ線内の「地上に存在する板塀、柵、植木等を収去」することを上告人に命じておる。こゝにいう板塀、柵、植木等の表現が意味するところは板塀、柵、植木に限定せず板塀、柵、植木をその例としてあげ、それ以外になにかがあることを意味しているこというまでもない。

原判決はその理由第二項において、前記土地上に上告人は「右板塀の外木柵を設け植木を植えて同土地部分を占有使していることが認められる」と認定しているのみであり、板塀、柵、植木以外のものを上告人が設置若しくは植えて右土地部分を占有使用しておるというような事実は全く原判決の認定しないところである。しかるに原判決は前記のように、右土地部分上に所在する板塀、柵、植木のみならず他のもの(その他のものが具体的に何であるかも原判決からは推認し得られない)をも上告人に収去すべしというにある。原判決にはその理由にくい違もしくは不備があるといわねばならない。

三、原判決は次の事実を認定しておる。

(一) 「昭和二十八年五月被控訴人が右の宅地(註上告人が訴外山崎から買受けた土地)と一筆をなしその西側に隣接する地上に所在する家屋を訴外池田某から買受けると共に同宅地を間口五間、奥行十間、面積は五十坪として訴外山崎孝一から賃借りした」。なおその当時すでに上告人が訴外山崎孝一から買受けた土地の西端境界線上に上告人設置の板塀が存在していた事実も原判決の認定しているところである。

(二) 被上告人は前記のように五十坪の宅地を訴外山崎孝一から賃借したが、「実面積が不足しているようなので右訴外人と共に現地について実測することとし、控訴人が買受けた宅地の東側に所在する間口六間の家屋の門柱(同家屋の東北端から東へ〇・五間の地点、別紙図面い点)を基点として西え右訴外人が控訴人に対して売渡したという間口の間数十四・七間の地点を測つたところ、同地点は控訴人の設けた板塀から約〇・五間東よりとなり、同板塀が右距離だけ被控訴人の賃借地に入り込んでいることが明らかになつた」。

(三) 昭和二十九年「十一月被控訴人は従来賃借りしていた宅地を前記訴外人から買受けたが、依然として境界問題が未解決であつたため、昭和三十年八月頃市役所に依頼して測量してもらつたところ、やはり八番地の十三の土地の東北端は前記門柱の位置であつたことが確認されたので、同年九月二十二日右門柱の位置を基点として西へ十四・七間の地点をとり、同地点から西へ間口五間、奥行十間、五十坪を八番地の十五の土地として所有権移転登記手続をうけた」。原判決の以上の事実認定からすれば、被上告人が訴外山崎孝一から買受けた土地はあくまでも被上告人が訴外山崎孝一から従来賃借りしていた土地の範囲に限られていることとなるのである。

したがつて、被上告人が訴外山崎孝一から買受けた土地の範囲を原裁判所が確定するには、まず被上告人が訴外山崎孝一から賃借りしていた土地の範囲を確定しなければならない。

原判決は、前記のように、被上告人が訴外池田某から買受けた家屋の宅地を間口五間奥行十間面積は五十坪として訴外山崎孝一から賃借りしたが、実面積が不足しているようなので右訴外人と共に現地について実測することとし、原判決別紙図面い点を基点として右訴外人が上告人に対して売渡したという間口の間数十四・七間の地点を測つたところ、同地点は上告人の設けた板塀から約〇・五間東よりとなり、同板塀が右距離だけ被上告人の賃借地に入り込んでいたことが明らかになつたと認定しておる。しかしかような事実認定をするには、被上告人が訴外山崎孝一から賃借りしたという五十坪の宅地の間口五間はどこを基点としての間口五間であるかを先ず確定しなければならない。しかるに、原判決は被上告人が訴外山崎孝一から前記宅地五十坪を借り受けるに際し、同間口五間の基点につき当事者間に於いて何らかの定めがあつたかどうか、どの地点を基点としての間口五間であつたかどうかについて何らふれかつ審理するところもなく、したがつてまたこれを確定してない。してみれば原判決は被上告人が訴外山崎孝一から借り受けた宅地五十坪が具体的にどの範囲であるかについて何等確定していないものといわねばならぬ。しかるに原判決は上告人が設置した板塀が約〇・五間だけ被上告人の賃借り地に入り込んでいることが明らかになつたと断定している。被上告人の賃借地の範囲を具体的に確定せずして上告人が設置した板塀が約〇・五間被上告人の賃借地に入り込んでいたと漫然と認定する原判決には明らかに理由の不備がある。

右間口五間の基点につき当初から被上告人と訴外山崎孝一間に何らかの定めが具体的になされていたとすれば、その賃借地の範囲は右基点から測量すればただちに明確にされるはずであり何も原判決別紙図面い点を基点として測量し始じめて明らかにされる性質のものではない。のみならず上告人が訴外山崎孝一から前記宅地五十坪を賃借りする当時、その宅地と上告人が訴外山崎から買受けた土地との境界線上には上告人の設置した板塀がすでに在つたのであるから、その板塀の東側の土地すなわち上告人が訴外山崎孝一から買受けた土地の範囲に入り込んでまで被上告人が訴外山崎孝一と宅地の賃貸借契約を締結するというが如きことは一般取引の通念からしても考え得られないところである。したがつて被上告人が訴外山崎孝一から宅地五十坪を借り受けた契約の当初においては、右五十坪の宅地の東端の境界は上告人が設置した板塀の線であり、その後上告人が仙台に行き留守となつたのに乗じ、右板塀の一部をこわし上告人が買受けた土地の一部を被上告人が勝手に通行使用していたのである。したがつてもし原判決別紙図面ろにほへ各点を結んだ範囲の土地につき上告人と訴外山崎孝一間に賃貸借契約が締結されたとすれば、宅地五十坪につき最初被上告人と訴外山崎孝一間に賃貸借契約が締結された以後のことでなければならない。したがつて原判決のいうように、被上告人が訴外山崎孝一から買受けた土地の範囲は被上告人が訴外山崎孝一から従来賃借りしていた土地であり、その賃借りしていた土地の中に原判決別紙図面ろにほへとの各点を結ぶ線内の土地も含まれるとするのであれば、右ろにほへの各点を結ぶ範囲の土地につきいつ賃貸借契約が被上告人と訴外山崎孝一間に締結されたかを確定しなければならない。これを確定せずして漫然と右範囲内の土地についても被上告人が賃借りしていたとする原判決には理由の不備がある。

したがつて、被上告人が訴外山崎孝一から従来賃借りしていた土地は原判決別紙図面ろ点に点を結んだ線の西側間口五間の土地であり、その賃借地を被上告人において買受けたとする原判決には結局理由に不備があるといわねばならない。

なお、被上告人が訴外山崎から従来賃借りしていた宅地を買受けたと認定しながら、その賃借地の範囲の認定につき原判決には上記のように理由の不備があるから、八番地の十五の土地につき原判決認定のような所有権移転登手続を被上告人が受けたとしても、その一事からして直ちに、すなわち従来賃借りしていた土地とは無関係に訴外山崎孝一から登記された八番地の十五の土地を被上告人において買受けたという事実が認定されない限り(原判決はかような事実を認定していない)、登記された八番地の十五の土地全部を被上告人が訴外山崎孝一から買受け所有権を取得したと認定することはできない。

さらに、登記された八番地の十五の土地の範囲は原判決別紙図面ろ点に点を結んだ線の西側間口五間奥行十間の土地であるとする原判決には理由の不備がある。すでに述べたように、八番地の十三の土地の登記上の東北端をい点なりとする原判決にはその理由に不備があるからである。

図<省略>

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